アンティークジュエリーとは?

RITA antiquesでは、耐久性や感性の面から考えて、ジョージアン時代である1800年頃からアール・デコ時代が終わる1930年頃までに作られたジュエリーを“アンティークジュエリー”と定義しています。1930年代以降のジュエリーを“ヴィンテージジュエリー”や“レトロジュエリー”という総称で区別しますが、RITAではアンティークジュエリーのみを取り扱っています。

フランスやオランダなど、他のヨーロッパ諸国でも当時多くのジュエリーがつくられましたが、数多くの優れた技術や作品を生んだ英国を中心にアンティークジュエリーは語られます

一般的に、

 

①1800年初頭 - 1837年 | ジョージアン

②1837年 - 1861年 | ヴィクトリアン初期

 1861年 - 1887年 | ヴィクトリアン中期

 1887年 - 1901年 | ヴィクトリアン後期

③1880年 - 1915年 | エドワーディアン

1890年 - 1910年 | エドワーディアンと並行するアール・ヌーヴォー

⑤1920年 - 1940年 | アール・デコ 

 

の5つの時代に区分するのが通常です。

 

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ジョージアン時代(1800年頃 - 1837年)

この時代、ジュエリーは王侯貴族と呼ばれる社会の特定階級の人々のみが楽しむことのできるものでした。

この時代のアンティークジュエリーの一番の特徴は、

① 使用されている金が極めて薄いこと

② 全ての作品が手作りであること

③ ダイヤモンドの使用がこの時代以前のジュエリーと比べて格段に増えてくること

です。

19世紀後半に世界の各地で新しい金鉱が発見されるまでは、金は非常に希少な金属でした。この貴重な金をいかに少なく使って立派な作品を作るか、という最大のテーマが当時の職人たちの技量を高め、現在考えても信じられないほどの創造力豊かなジュエリーを数多く生み出しました。

細い金の線で平面的なデザインを描きろう付けするカンティーユ(Cannetille: 金の刺繍という意味)や金の薄板を裏から打ち出して模様を付けるレポゼ(Repousse)などの繊細な金細工はこの時代ならではのものです。

 

カンティーユのネックレス(左)とレポゼのピアス(右)

 

ダイヤモンドが光るものらしいと分かり始めたのもこの時代です。“異様なまでに硬い神秘的な宝石”という認識しか当時の人々は持ち合わせていなかったため、フォイルのように薄く伸ばした銀でダイヤモンドの上面を残しそれ以外をしっかりと覆って固定するというクローズド・セッティングと呼ばれる技法が主流でした。 

光を反射させると宝石の美しさが引き出せることがのちにわかるようになってきて、現代のジュエリーでは主流のオープン・セッティングで宝石を留めるジュエリーが増えていきました。

 

クローズド・セッティングのダイヤモンドリング

 

ほとんど機械を用いていないため、人間の手垢を感じられるのがジョージアンのジュエリーと言えます。元々作られた数が少ない為上、作り直しのために宝石が外されたり、構造的に華奢な作りであるため破損も多く、現代に残っているジョージアンジュエリーは非常に少なく希少性が高くなっています。

 

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ヴィクトリアン時代(1837年頃 - 1901年)

1837年の6月に、わずか18歳の少女ヴィクトリアが英国王に即位します。このヴィクトリア女王は以後63年もの長い間、英国を支配し、英国最盛期を作り上げていきました。女王はドイツの王家からアルバート公を花婿に迎え、国民の理想の若い国王夫妻を中心に絢爛たる社交生活が繰り広げられることになります。

この時代、蒸気機関の発明に代表される産業革命による工業と商業の発展、海外の植民地からの収入、教育の充実などによって、ゆとりと教養のある中級階級が生まれてきました。そうした人々は、これまでに存在しなかった新しいジュエリーの市場となっていきました。言わば、大衆のためのジュエリーが初めて誕生したのがヴィクトリア時代と言えます。 

アンティークジュエリーの歴史では、便宜的にこのヴィクトリア時代を3つに分けるのが通常となっています。

 

◇ ヴィクトリアン時代初期(1837年 - 1861年)

1837年に即位してからヴィクトリアが最愛のアルバート公と死別する1861年までをヴィクトリア時代の初期とします。この時期の特徴は、

① 若く美しい女王ヴィクトリアの華やかさを受け、華やかでロマンティックな色使いや意匠の流行

② 世界各地で金鉱が発見されたことによって金の価格が下がり、ジュエリーにも沢山使えるようになったこと

③ 海外との交流がジュエリーの発展に大きく寄与したこと

以上の3点が挙げられます。

ロマンティック主義を表す代表例の1つに、俗にリガード様式と呼ばれるジュエリーがあります。これは、使う宝石の頭文字を取って言葉遊びをジュエリーに組み込んだ意匠を意味するのですが、例えばルビー、エメラルド、ガーネット、アメジスト、ルビー、ダイヤモンドを並べてREGARD(尊敬、好意、愛を意味する)を表現したり、ダイヤモンド、エメラルド、アメジスト、ルビー、エメラルド、サファイア、トパーズを並べてDEAREST(最愛の人を意味する)を示すのが最も多い例です。リガード様式の指輪やネックレスは1840年頃から顕著に増えてきます。

 

“REGARD”リング 

 

金の供給が増えるにつれて華やかな意匠が可能になった反面、ジョージアンジュエリーに見られる薄い金細工は次第に消滅しました。不足の時代から充足の時代へと、アンティークジュエリーの歴史の中で意匠の変化を最大に遂げた時代の変遷がこのタイミングであったと言えます。

 

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◇ ヴィクトリアン時代中期(1861年 - 1887年)

この時代の特徴は、

① 金メッキの誕生と宝石鉱山の発見

② 黒いエナメル、漆黒の石ジェット、樫の埋れ木のボグオークなど、黒い色調のジュエリーの大流行

③ 宝石以外の素材を使ったジュエリーの増加

の3点が挙げられます。

金メッキは1840年前後には誕生したと言われています。1854年には9金、12金、15金という新しい品位が公式に許可されます。これは、18金という高い金品位を維持してきた英国に、外国から低い品位の金製品が流れ込んできたのに対抗するための手段でした。それだけ製品が流れ込むということは、そうした物を求める客層が生まれたということを表しています。

黒い色調のジュエリーが大流行した背景には、1861年に女王の最愛の夫であったアルバート公が突然死去したことに大きく関係しています。9人の子供と残されたまだ42歳であった女王にとって、これは大変な衝撃でした。女王は異常なまでに深く長い喪に入り、濃い色の喪服を着る時期が続きます。宮廷に使える女官をはじめ、王室に近い人々、また王室をファッションの手本としてきた人々は女王にならったため、1861年から数年間は国中喪がファッションだった時代がありました。

 

Queen Victoria

 

当然この喪服に合うジュエリー(=Mourning Jewellery: モーニングジュエリー、喪のジュエリー)が必要になり、それが黒いエナメル、漆黒の石ジェット、樫の埋もれ木のボグオークを使ったジュエリーでした。また、この時代の前からあったようですが、死者の髪の毛を編んだり、ロケットに入れたりした、いわゆるヘア・ジュエリーが再流行しました。

 

黒いエナメルのブローチ

 

ジェットのピアス(左)とネックレス(右)

 

ボグオークのピアス

 

ヘアジュエリーのブローチ(左)とリング(右)

 

またモーニング・ジュエリー以外にも、宝石以外の素材を使ったジュエリーが大量に生み出されました。イタリアからのカメオやモザイクが入ってきたり、ケルト意匠を色濃く映したスコティッシュ・ジュエリー、鼈甲の表面に小さな金や銀の細工が施されたピクエ、エナメルジュエリーなど、ジュエリー自体の可能性が格段に拡大した時代でした。

 

ピクエのピアス

 

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◇ ヴィクトリアン時代後期(1887年 - 1901年)

1877年、ヴィクトリア女王はインドの女帝に即位し、大英大国はほぼ絶頂に達します。1880年以降には、さすがの女王も喪の時代を脱し、社会そのものが明るさを取り戻していきます。

この時代の特徴は、機械による大量生産が始まり、ジュエリーの大衆化が本格化したこと、この1点に尽きます。

英国の産業化、そして遠くの植民地との交易の拡大によって、資力を持った新しい階層の人々が登場してきます。しかし彼らが憧れる上流階級の人々が身に付けているような宝飾品をそう簡単に買えるわけではなかったため、ヴィクトリア時代中期から後期にかけてこうしたニーズに応えるために、様々なジュエリーが新しく登場しました。

その代表例が、稀少であった金に代わるピンチベック(銅と亜鉛と鉛の合金)、ダイヤに代わるマルカジットやカットスティールなどです。真珠、特に半分にカットされたハーフパールも、1889年に南アフリカでの戦争の結果ダイヤモンドの供給が一時停止したことを受けてか、大量に使用されるようになりました。これらのジュエリーは、現代では個性あるアンティークジュエリーとして、高い関心を集めるものとなっています。

 

カットスティールのネックレス(左)とピアス(右)

 

ジュエリーの大衆化は別の形での変化ももたらしました。それはコピー同然のジュエリーが機械で大量生産された結果安物の反乱が起きたことです。こうした俗化に対する反論がアーツ・アンド・クラフト運動と呼ばれる美術工芸運動であり、次のアール・ヌーヴォー時代を形成していきました。

ヴィクトリア女王は1901年、81歳の高齢で死去し、64年にも及ぶ1つの長い時代が終わりを迎えました。

 

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◆ エドワーディアン時代(1880年 - 1915年)

 ウィクトリア女王を継いだのはエドワード7世ですが、母親が長生きであったため即位したときには既に60歳の高齢で(即位は1901年)、国王としてはわずか10年しか即位しません。しかし、ジュエリーの歴史上では重要な時代です。

エドワーディアン時代上で最大の変化はプラチナの使用です。極めて硬い貴金属であるためにダイヤモンドを留めるための爪に便利であることが理解され、広く用いられるようになったのは1900年前後のことのうようです。また真珠の使い方にも変化があり、ハーフパールは消えて1粒丸いままの真珠が多く使われ始めたのもこの時代です。

 

プラチナを使用した真珠の指輪(左)とダイヤのリング(右)

 

意匠の傾向としてはヴィクトリア時代のものほど顧客に迎合するという気持ちが感じられないものが多く、極めて貴族的で安っぽさを排除しようとする態度が見受けられるジュエリーが多いです。全体的に白い作品が多く、細いプラチナ、白いダイヤモンド、白い真珠と、白くて華奢で上品な作品、それがエドワーディアンジュエリーと言えます。

 

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◆ アール・ヌーヴォー時代(1890年 - 1910年)

一種の広範的な芸術運動として生まれ欧州全般に広がりを見せたアール・ヌーヴォー運動。アンティークジュエリーの世界ではアール・ヌーヴォー様式は賛美され大いに語られはするのですが、市場に出る実物は非常に少ないです。

アール・ヌーヴォー様式は一言で何かを表現すると、「唯美主義」(美を何よりも優先するという態度、芸術思想)であるということ。そしてフランスを軸に語られるということです。多彩な七宝、象牙、動物の骨、さらにはガラスなどをも使って、あまり実用性や素材の価値、テーマなどに注意を払うことはなく、非常に大柄なペンダント、ブローチ、櫛、首飾りを制作し、ジュエリーにおけるデザイン表現の可能性が大きく押し広げられました。前述したイギリスのアーツ・アンド・クラフト運動も、まさにこの主義の枠組みの中で解釈されています。

ちょうど日本の美術工芸品が西欧に流れ込んだのもこの頃です。オランダ人を通して、密かに少数の日本美術品が西欧に来てはいましたが、本格的にまとまった数の作品がやって来たのを受け、いわゆるジャポネスクと呼ばれる新しい感覚は様々なジュエリーに取り入れられていきました。

 

ジャポネスクスタイルのバングル

 

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◆ アール・デコ時代(1920年 - 1940年)

1914年に始まり1918年に終わった第一次世界大戦以後、欧州が世界を支配する時代は終わりを迎えます。

この時代にジュエリーの世界で見られた大きな変化は、女性の社会進出により単純明快で使いやすいジュエリーが生み出されたことです。

男性が戦場に行くにつれて女性が社会に進出したことで、全ては機能的にならざるを得ませんでした。女性は悠然と美しくあるだけでよいというような、女性を飾るための唯美的なジュエリーは、激変する社会に生きる女性には迎合されませんでした。

この時代に歓迎されたジュエリーは、一時代前の、花や昆虫をデザインした大柄で手の込んだ作品ではなく、分かりやすくて潔いフォルムのデザインのものでした。色調も、自分の洋服との対比で選ぶ、という方向に変わっていきます。女性にとってジュエリーは、男性から与えられるものから自分で選ぶ時代になったのがこの時代と言えます。

 

アール・デコのリング(左)とピアス(右)

 

社会全体が豊かになったため、アール・デコの作品は非常に多く、比較的高価な素材を使い、種類も実に多様ですが、1929年の大恐慌や第二次世界大戦など、厳しい世相の中でつくられてきたことが伺えます。

 

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そして現代に到るまで、各時代にヨーロッパで丹精込めて作られてきたジュエリーは長い時を経て大切に受け継がれてきました。

各国の文化や時代の主張が弱くなり、なにもかもが均一化している私たちの生きている時代。RITA antiquesは、より視野の広い個性や感性を養うために、アンティークジュエリーが持つ意匠性の高さや深いストーリーを魅力的に紹介していきたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

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